Direct Thrombin Inhibitor
アルガトロバン: Argatroban
・構造、化学名、化学式、分子量
・効能・効果
・開発の経緯
・アルガトロバン の臨床応用
・年表
・賞
・論文
効能・効果
日本
・慢性動脈閉塞症
・脳血栓症急性期
・ATIII欠乏/低下患者における血液体外循環(血液透析)
・ヘパリン起因性血小板減少症(HIT)における血栓症の発症抑制
・HIT患者における経皮的冠インターベンション(PCI)
・HIT患者における血液体外循環(血液透析)
海外
米国、カナダ、ドイツ、オーストリア、オランダ、スウェーデン、デンマーク、ノルウェイ、フィンランド、アイスランド、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、韓国
・ヘパリン起因性血小板減少症(HIT)における血栓症の発症抑制
・HIT患者における経皮的冠インターベンション(PCI)
韓国、中国
・慢性動脈閉塞症
・脳血栓症急性期
開発の経緯
1970年代、神戸大学(岡本彰祐教授)と三菱化成(現 田辺三菱製薬)との産学共同研究により、世界初の合成抗トロンビン剤:アルガトロバン(ArgatrobanⓇ, NovastanⓇ)が開発された。コラーが「血栓こそ、人類の最大の殺人者である」と第1回血栓止血学会(1970年)の総括で述べた時代である。血栓を統御することの重要性が時代の要請として芽生えて来ていた。そして1950-1960年代のタンパク質のアミノ酸配列解析の全盛期に続き、1970年代はタンパク質の結晶解析が進み、酵素および基質・インヒビターに関する情報が勢いをもって提示され始めていた。この時期に、日々明らかになりつつあるプロテアーゼに関する知見を同時代の息吹として取り込みつつ、抗トロンビン剤の研究が行われた。トロンビンがフィブリノゲンのアルギニンのC末を特異的に切断すること、トシルアルギニンメチルエステル(TAME)が弱いながらも抗トロンビン作用を持つことなどが重要な手がかりとなった。
「抗トロンビン剤」を研究するにあたり、終始目標としたのが、トロンビンを強力かつ選択的に阻害する物質を追求することであった。つまり特定の酵素を選択的に阻害する物質は、その酵素の生理的ならびに病理的役割を解明する有力な手段となりうるからである。
「抗トロンビン剤」の研究は、アルギニンを基本骨格として、そのC末とN末に化学修飾を加えたアルギニン誘導体を種々合成し、トロンビン阻害に対する構造活性相関を検討することから始まった。トロンビンに強い阻害活性と選択性を持つ分子構造は、比較的早い段階で特定することができた。それがTAMEから出発して205番目に合成されたNo.205:Nα-dansyl-L-arginine 4-ethylpiperidin amide)であった。しかしながら、No.205は急性毒性が強く薬剤としての応用が難しいという問題点があった。薬剤として安全性の高い分子構造を求めてさらに600もの新規化合物が合成された。そして強いトロンビン阻害作用を維持しながら安全性の高い分子構造が805番目に得られ、それがNo.805: ((2R,4R)-4-methyl-1-[N2-[(3-methyl- 1,2,3,4-tetrahydro-8-quinolinyl) sulfonyl]-L-arginyl)]-2-piperidinecarboxylic acid)、アルガトロバンであった。その構造の特徴はアルギニン骨格、キノリン骨格、ピペリジン骨格からなる三脚構造をもち、No.205の分子構造と大きく異なる点は、ピペリジン骨格にカルボキシル基(-COOH)が導入されたことである。
アルガトロバンは、トロンビンに対して高い選択性をもち、他の類似酵素に対してはほとんど阻害効果を示さない。そして、アルガトロバンが持つ三脚構造のそれぞれの部位がトロンビンの活性中心に存在する正荷電結合部位、芳香環結合部位、疎水性結合部位に結合することにより抗トロンビン作用を発揮する。ヘパリンがコファクターを介して間接的にトロンビンを阻害するのに対し、アルガトロバンは直接トロンビンの活性中心に作用してトロンビンを阻害することから、直接的抗トロンビン剤と呼ばれている。近年、酵素の分子構造から、その阻害物質を探求しようとする研究が盛んに行われているが、アルガトロバンはそれには当てはまらない。むしろ、逆にアルガトロバンの出現によってトロンビンの活性中心の微細構造が明確になったのである。つまり強力な阻害物質は酵素の分子構造の細部を明確にするための有用なtoolとなりうるということである。
アルガトロバンの臨床応用
トロンビンは血液凝固において中心的な役割を演じている酵素である。アルガトロバンはトロンビンによるフィブリン形成、第Ⅴ、Ⅷ、XIII因子活性化、血小板凝集を阻害することによって、抗血栓作用を発揮する。ヘパリンとは異なり、アルガトロバンは、①患者のアンチトロンビン量に左右されず、安定した抗血栓作用を発揮する、②可逆的かつ拮抗的にトロンビンを阻害するため、出血のリスクが低い、③低分子(分子量508.6)であり、抗原性の心配がない、④血小板減少作用を持たない、⑤血栓内トロンビンに対しても阻害効果を発揮するなどの特長を持つ。
アルガトロバンの適用症として、まず挙げられるのは血栓症である。アルガトロバンは、1990年に日本政府により慢性動脈閉塞症の治療薬として承認された。慢性動脈閉塞症は、しばしば下肢に潰瘍ないし壊死を伴う慢性疾患であり、血管内腔血栓を形成し、増悪、再燃を繰り返すことを特徴としている。慢性動脈閉塞症の臨床治験では、アルガトロバンは虚血性潰瘍、安静時疼痛、冷感等に優れた改善効果をもたらした。1996年には脳血栓急性期(ラクナを除く)の治療薬として日本政府により承認された。脳血栓急性期における臨床試験では、アルガトロバンはプラセボに比して有意な改善効果を示した。特にその改善効果は48時間以内に治療を開始したグループで顕著であった。このように脳血栓などの血栓症の発症ならびに進展にトロンビンが密接に関与していることは、アルガトロバンの治療効果からも明らかであり、アルガトロバンの血栓症におけるより幅広い応用が期待される。
一方、ヘパリンはすでに抗血栓薬、抗凝固薬として幅広く使われているが、時に使用できない場合がある。一つはコファクターであるアンチトロンビンが欠乏または低下している場合であり、他はヘパリン投与により抗体が生成されている場合である。これらの患者には代替の抗血栓薬、抗凝固薬が必要となる。1996年に日本政府はアンチトロンビンの欠乏あるいは低下した患者の血液透析時の抗凝固剤としてアルガトロバンの適応を承認した。さらに2000年に米国FDAは、アルガトロバンをヘパリン起因性血小板減少症(HIT)の治療薬として、2002年にはHITあるいはHITのリスクがある経皮的冠動脈インターベンション時の抗凝固薬として承認した。アルガトロバンはヘパリンの代替抗凝固薬としてHIT患者に使用されたが、ヒストリカルコントロールを対象としたアルガトロバンの臨床試験では、新規血栓症の発症を低下させるなど、HITの臨床症状の改善に際立った有用性が証明された。つまり、HITは抗トロンビン剤の作用を必要とする凝固亢進状態を中心とする病態であったということになる。
本邦では、2004年からHITにおける医師主導治験(ARG-J試験)が国立循環器病センターの宮田茂樹らによって実施された。その結果をもとに、2008年にはHITの治療薬として承認され、さらに2011年にはHIT患者におけるPCI施行時の抗凝固薬として、また血液透析時の抗凝固薬として承認された。
年表
1970年 「選択的抗トロンビン剤の研究」をテーマとして、神戸大学と三菱化成との産学共同研究が始まる。
1978年 世界初の合成抗トロンビン剤として誕生
1980年 第Ⅰ相試験開始
1980年 第Ⅱ相試験開始(DIC、血液透析)
1982年 第Ⅱ相試験開始(脳血栓症・慢性動脈閉塞症)
1984年 第Ⅲ相試験開始(慢性動脈閉塞症)
1985年 第Ⅲ相試験開始(脳血栓症)
1987年 慢性動脈閉塞症・脳血栓症への承認申請
1990年 慢性動脈閉塞症(バージャー病・閉塞性動脈硬化症)ついての効能・効果承認
1996年 脳血栓症急性期について効能・効果承認
1996年 ATIII欠乏/低下患者での透析について承認
2000年 ヘパリン起因性血小板減少症(HIT)の治療(米国FDA承認)
2003年 HITの予防(HITのリスクのある患者におけるPCI施行時の血液凝固の防止)(米国FDA承認)
2004年 ヘパリン起因性血小板減少症(HIT)に対する医師主導治験開始(ARG-J試験)
2004年 希少疾病用医薬品の指定を受ける
2008年 HITにおける血栓症の発症抑制について承認
2011年 HIT患者におけるPCI施行時の血液凝固の防止について承認
2011年 HIT患者における体外循環時(血液透析)時の血液凝固の防止について承認
論文
アルガトロバンはOM-805, MD-805, No.805, MCI-9038, Argipidine
・アルガトロバン(No.805)に関する最初の論文
Potent inhibition of thrombin by the newly synthesized arginine derivative No. 805. The importance of stereo-structure of its hydrophobic carboxamide portion.
Okamoto S, Hijikata A, Kikumoto R, Tonomura S, Hara H, Ninomiya K, Maruyama A, Sugano M, Tamao Y.
Biochem Biophys Res Commun. 1981 Jul 30;101(2):440-6.
・合成方法等に関する論文
Selective inhibition of thrombin by (2R,4R)-4-methyl-1-[N2-[(3-methyl-1,2,3,4-tetrahydro-8-quinolinyl++ +) sulfonyl]-l-arginyl)]-2-piperidinecarboxylic acid.
Kikumoto R, Tamao Y, Tezuka T, Tonomura S, Hara H, Ninomiya K, Hijikata A, Okamoto S.
Biochemistry. 1984 Jan 3;23(1):85-90.
・慢性動脈閉塞症に対する多施設研究
Clinical results MD-805, antithrombin agent, on chronic arterial occlusion. A multicenter cooperative study.
Tanabe T, Mishima Y Furukawa K, Sakaguchi S, Kamiya K, Shionoya S, Kaysumura T, Kusaba A
J Clin Thr Med 1986;2:1645.
・急性脳血栓における効果
Effect of the thrombin inhibitor argatroban in acute cerebral thrombosis.
Kobayashi S, Tazaki Y.
Semin Thromb Hemost 1997;23:531-4.
・HIT患者におけるアルガトロバン治療の最初の報告
A new thrombin inhibitor MD805 and thrombocytopenia encountered with heparin hemodialysis.
Matsuo T, Nakao K, Yamada T, Matsuo O
Thromb Res 1986; 44: 247-251
・米国におけるHITの治験
ARG-911 Study Investigators.Argatroban anticoagulant therapy in patients with heparin-induced thrombocytopenia.
Lewis BE, Wallis DE, Berkowitz SD, Matthai WH, Fareed J, Walenga JM, Bartholomew J, Sham R, Lerner RG, Zeigler ZR, Rustagi PK, Jang IK, Rifkin SD, Moran J, Hursting MJ, Kelton JG.
Circulation. 2001;103:1838-43
・アルガトロバンの総説
Okamoto S, Hijikata-Okunomiya A.Synthetic selective inhibitors of thrombin. Methods Enzymol 1993;222:328-40.
In vitro andin vivoproperties of synthetic inhibitors of thrombin: recent advances
S.Okamoto, K.Wanaka & A.Hijikata-Okunomiya:
The Design of Synthetic Inhibitors of Thrombin. (Eds. G.Claesonet al., Plenum Press New York) 119-130, (1993)
ダイレクト・トロンビンインヒビター
奥宮明子
神戸大学大学院保健学科紀要 25:29-40, 2009