身近な存在 トラネキサム酸
“トラネキサムさん(酸)”、この名前を聞いたことがありますか?
「はい、聞いたことがあります」と答える方も多いと思います。
古くは「リンゴをかじると、血がでませんか?」という歯磨き粉のCMで、最近では美白効果があるということで化粧品のCMでよく耳にするようになりました。
本来は、外傷や手術などで出血が止まらない時、異常出血が起きた時の止血剤として使われているクスリです。
また、抗炎症剤として風邪で喉が痛い時や蕁麻疹などの治療にも使われています。
トラネキサム酸は、50年以上の歴史を持ち、世界120カ国以上で止血剤として使われているクスリですが、いまなお臨床研究が続けられています。最近、2つの大きな臨床試験(外傷性出血、分娩後出血)の結果が、世界中のニュースで取り上げられ、我々を非常に驚かせました。
ここでは、トラネキサム酸の生い立ち、その作用と効果、
そしてなぜ再び脚光を浴びているのかについてお話ししようと思います。
命を救う薬 ー トラネキサム酸 ー
2017年4月26日、世界5大医学雑誌の1つであるLancetに、トラネキサム酸の分娩後出血に対する効果の大規模臨床試験(WOMAN trial)の結果が報告されました。その驚きの結果は、世界中で大きなニュースとして取り上げられました。
“Postpartum haemorrage: Cheap lifesaver’ cuts deaths by a third”
(安い救命薬が分娩後出血による死亡率を1/3減らす。BBCニュース)、
“Dangerous bleeding after childbirth could be treated with $1 injection”
(出産後の危険な出血が1ドルの注射で治療できるかもしれない。ニューヨーク・タイム)
など、ヨーロッパ、アメリカのみならずアフリカ、アジアなど世界各地から同様のニュースが発信されました。
何がそれほど世界中を驚かせたのでしょう?
母親の命を救う薬―トラネキサム酸―
今回の大規模試験の結果は、《分娩後出血早期にトラネキサム酸を静注することにより、その死亡率が30%減少する 》というものでした。分娩後出血で命を落とす母親は年間約10万人、つまり年間約3万人もの母親の命をトラネキサム酸が救うことができるのです。それも非常に安いクスリが。これは、特に貧困にあえぐ国々の母親たちにとって、この上もない嬉しい知らせでした。そして、その結果発表から半年後には、世界保健機構(WHO)のガイドラインをも変更させるほどでした。参考Link:Simple Drug May Save Thousands of Bleeding Mothers
外傷性出血患者の命を救う薬―トラネキサム酸―
これより7年前の2010年6月、同研究グループが、大量出血を伴う外傷患者おけるトラネキサム酸の効果をみた大規模臨床試験(CRASH-2)の結果をLancetに報告しています。
これは世界中の全ての外傷患者がトラネキサム酸で治療されたらどれだけの命を救える可能性があるかを算出したものです。1時間以内の投与で、12万8千人、3時間以内の投与で11万2千人の命が救える計算になります。特に多くの命を救う可能性があるのは、人口が多く、事故の多い地図で示す国々、インド、中国、アメリカ、ブラジル、ロシアなどです。
参考Link:Ker et al. BMC Emargency Medicine 2012, 12:3
これらの結果により、半世紀以上も前に誕生したトラネキサム酸が、再び注目をあつめています。新たにさらにいくつかの臨床試験もスタートしています。
トラネキサム酸のはたらき
トラネキサム酸は「抗プラスミン剤」です。では、プラスミンとは体の中でどのような働きをしているのでしょうか?そして、なぜプラスミンをおさえる必要があるのでしょうか?
ふつう、けがなどで出血した場合、血管のキズがさほど大きくなければ、短時間で血は止まります。
まず、血小板が集まってきてキズを塞ぎます(一次止血)。それだけではすぐに流されてしまうので、フィブリンという白い繊維状の網で血小板などを包み込み、しっかりと固めて出血を防ぎます(二次止血)。やがて血管が修復され、いらなくなった血栓が取り除かれます(線溶)。その血栓を取り除くのがプラスミンの役目です。プラスミンは、フィブリンの網をバラバラに切って、血栓を消し去ります。しかし、プラスミンが働きすぎると血管が修復される前に血栓が溶かされ、再度出血がおきてしまいます。このような際に、過剰のプラスミンをおさえるのが抗プラスミン剤:トラネキサム酸の役目です。
トラネキサム酸の歴史
トラネキサム酸は、岡本彰祐・歌子夫妻を中心とした日本人科学者たちによって作りだされました。
話の始まりは、第二次世界大戦が終わって2年目、1947年までさかのぼります。財団法人 林研究所 と三菱化成研究所(現・三菱化学、製薬部門は現・田辺三菱製薬)との共同研究として、東京郊外の研究所で始まりました。
林研究所側の代表が岡本彰祐(当時慶應義塾大学講師)、三菱側の代表が長沢不二男(当時三菱化成研究所次長)でした。何を研究テーマにするか、まずはその相談から始まりました。
長沢が求めたのは、
・第一に、「国際水準」をぬく見通しがあるもの
・第二に、他の研究者に荒らされていない「未開の領域」であること
・第三に、病気を治す「クスリ」になる可能性があること
という3つの条件でした。
これに応じて岡本彰祐が提案したのが「抗プラスミン剤」の開発研究
という独創的な案でした。「抗プラスミン剤」という言葉も概念もどこにもない時代のことなのです。
アミノ酸の「リジン」をヒントに ― イプシロンアミノカプロン酸の誕生 ―
抗プラスミン剤の開発研究は、硫黄化合物がわずかにプラスミンを阻害することを手がかりに、まず一連の硫黄化合物の探索から始められましたが、十分な成果は得られませんでした。その後、入手可能な低分子化合物、自然のアミノ酸へと、探索の範囲は広げられていきました。およそ400種類の化合物について調べ、成果が得られなかったとき、岡本らはこの研究は失敗に終わるのではないかと考え始めました。
そんな夏の日の午後、実験助手Sさんの叫び声がしじまを破りました。「大変です。」「リジンのものすごく薄い濃度でプラスミンの作用がおさえられます」。当時なかなか手に入らなくて検査が後回しになっていたリジンが、他の化合物とは比較にならない低い0.01パーセントくらいの薄い濃度でプラスミンのはたらきをみごとにおさえたのです。リジンがそのままクスリになるわけではありませんが、大きな手がかりとなりました。なによりも幸運だったのは、リジンのようなアミノ酸は生体に無害である上に、その構造もわかりやすかったことです。
リジンによく似た化合物がいろいろつくられ、プラスミンを止めるはたらきが変わるか調べられました。その結果、リジンのアルファ位のアミノ基をとり除いたイプシロンがリジンの約10倍強くプラスミンのはたらきをおさえることが分かりました。
さらに強力な「抗プラスミン剤」を求めて ― トラネキサム酸の誕生 ―
イプシロンは内外で広く使われるようになりましたが、肺手術の際に起きるような大出血では、その効果は十分とは言えませんでした。フランスやスェーデンなどでは、30~60 gというイプシロンの超大量投与が行われました。
「もっと作用の強い抗プラスミン剤を作ってくれないか!」、治療にあたる医者たちの悲痛な願いでした。
その要望に応えるべく、さらに低濃度で強くプラスミンの働きをおさえるクスリの研究がはじめられました。
新しい薬のヒントはイプシロンの骨格にありました。
イプシロンのプラス荷電とマイナス荷電の距離が重要なポイントだったのです。その距離を保ちながら、一本鎖でつながっていたものを環状にすることによって、アミノメチルシクロヘキサンカルボン酸(AMCHA)が誕生しました。AMCHAで動物実験や臨床研究が進められ、毒性もなくイプシロンの1/8~1/10の量で効果が認められました。
ここで注目されたのは、AMCHAに立体異性体(シス型とトランス型)が存在することでした。日本はトランス型が、スェーデンはシス型が効果を持つと考えていました。当時、これらの異性体を分離・特定することは容易なことではなく、ようやく第一製薬の研究者たちが分離に成功し、トランス型が有効であることが確認されました。こうしてイプシロンの10倍強い抗プラスミン作用を持つトラネキサム酸が誕生しました(1965年、トランサミンとして第一製薬より発売)。
その後はイプシロンに代わってトラネキサム酸が使われるようになりました。そして20世紀を代表するクスリの1つとなったのです。
シクロヘキサンの立体構造
タイム・カプセルに乗って5000年後の人々へ
1970年、万国博覧会が大阪で開催されました。
その時、非常に人気を集めたアトラクションの1つに「タイムカプセルEXPO‘70」 がありました。
それは現代文化を5000年後の人類に残そうと、直接経費だけでも約2億円を投じた壮大な計画でした。
1970年現代の膨大な品々の中から、世界36カ国、632人の知名人へのアンケート結果などにより、2098点(自然科学分野 742点、社会分野 686点、芸術分野 592点、その他 78点)の収納物が選ばれました。
その中の1つがトラネキサム酸(収納番号:N-15-3-7)です。
このタイム・カプセルは大阪城公園の本丸跡に2個埋設されています。1号機は5000年後の西暦6970年までまったく手を付けずに保存され、2号機は万国博覧会から30年後の2000年に、その後は100年ごとに保存状態を確認するために開けられることになっています。